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歩兵第170連隊(ほへいだい170れんたい、歩兵第百七十聯隊)は、大日本帝国陸軍の歩兵連隊のひとつ。
支那事変中の1938年(昭和13年)6月に、大阪第4師団の歩兵第70連隊(篠山)の特設部隊として第104師団(篠山)の歩兵第170連隊が編成。張鼓峰事件発生のため、大連より間島省に進出するも停戦協定が締結。矛先を華南に転じ広東方面を転戦。仏印進駐により第104師団隷下を脱し、印度支那派遣軍に編入。印度支那派遣軍は独立混成第21旅団に改編。大東亜戦争が開戦後も仏印の警備。1942年(昭和17年)9月、太平洋島嶼防備強化のため、大宮島、大鳥島に転用下令。アメリカ軍ガダルカナル島来寇のため連隊主力は大宮島より南東方面へ転用。乗船中の輸送船が撃沈された際に軍旗を喪失し、その後の戦闘で大打撃を受けると解隊された。
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)
- 1月13日:花県・白泥水河畔で支那軍を撃破。
- 1月20日:再び広東市北郊の警備のため鳳凰山一帯に陣地を構築。
- 4月5日 :広東奪還を目論む支那軍を獅前市・花県北方付近で撃破。
- 4月22日:第107旅団(西山福太郎少将)の江門・新会方面(広東南方)の戦闘に歩兵第108連隊とともに参加。
- 6月9日 :広東市西方の三水に移駐、警備。
- 8月25日:再び広東市内の警備。
- 9月2日 :夏季作戦に参加。花県に進撃し高百丈の支那軍拠点を攻略。
- 12月2日 :二一六高地の戦闘。
- 12月18日:源潭墟・鮮水坑・羊仔山・伯公拗付近の戦闘を経て泡江を渡河。
- 12月18日:支那国民党政府の汪兆銘行政院長が支那事變の平和的解決を目指し重慶より亡命。我が国は汪を全面的に支援。政権基盤を確固たるものにすべく支配地域の拡大を目指し、19日、第11軍(岡村寧次中将)の翁英作戦に参加、粤漢線に沿って北上。
- 12月30日:第7中隊(西面治作中尉)が英徳城に一番乗りを果たします。
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 1月13日:軍命令により包囲されている南海支隊救援のためブナ・ギルワ河方面に進撃を開始しますが、兵力・物量に優る米豪軍の包囲を受け損害が増加。
- 1月20日:軍命令により独立混成第21旅団・南海支隊はクムシ河まで転進集結。舟艇輸送によりマンバレーに移駐、警備。
- 2月8日 :ラエ・サラモア付近に移駐。
- 2月20日:マギリに移駐。
- 3月17日:ラエ東方のホポイに集結。
- 6月12日:『大陸命第八百號』により歩兵第170連隊は復帰(現役・若年兵の一部は他隊に転属)。
- 6月22日:連隊本部を始めラバウルに転進し復員完結。[注釈 6]
大鳥島に分派された第2大隊[編集]
歴代連隊長[編集]
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐)
代 |
氏名 |
在任期間 |
備考
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1 |
古賀龍太郎 |
1938.6.6 - |
|
2 |
米山米鹿 |
1940.8.1 - |
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3 |
久保宗治 |
1941.6.28 - |
|
末 |
渡辺嘉幸 |
1942.3.28 - |
|
- ^ 2月9日、第21軍から改編・安藤利吉中将。
- ^ 大宮島、大鳥島に転用。
- ^ 連隊旗手・富倉久夫少尉は軍旗の覆いを外し、旗竿から軍刀で切り離し軍旗を防水嚢に収納し背負い、旗竿は連隊乙副官・上田建中尉が捧持しそれぞれ脱出したが、両名を含む228名の将兵が散華、軍旗も海没。
- ^ 連隊長以下の残存将兵は僚艦に救助されてラバウルに到着したが、連隊長は軍旗喪失に責任を感じ駆逐艦「追風」内で割腹未遂事件を起こし、精神を患って戦線離脱することになった 。
- ^ 軍旗再下賜を申請するが却下される。
- ^ 連隊は、喪失した軍旗の再下付を再三申請していたが、かなわないままの現地解隊となった。
軍旗を喪失したことによる懲罰的な解隊処分であったとも言われる。
- ^ 指揮系統の一本化のため、分派増援されてきた独立混成第5連隊第1大隊や戦車第16連隊主力などと統合されて、独立混成第13連隊が編成され、歩兵第170連隊系の将兵の多くはその第1大隊要員となった。
終戦まで大鳥島には連合国軍の上陸が無かったものの、空襲や艦砲射撃、補給途絶による食糧難や医薬品不足に悩まされ、多くの死者を出した(ウェーク島の戦い#1942年以降のウェーク島の戦況も参照)。
- ^ 終戦後に復員したのは、連隊の将兵3000人のうち100名程度とも言われる。
参考文献[編集]
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室(編) 『中部太平洋方面陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島』朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1968年。
- 同上 『南太平洋陸軍作戦(2)ガダルカナル・ブナ作戦』 同上、1969年。
関連文献[編集]
- 納富寿生(編) 『歩兵第百七十聯隊 兵隊の綴る戦記』 経済ハイライト、1985年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]