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司馬 憲(しば けん、生年不詳 - 泰始7年8月19日(271年10月10日))は、西晋の皇族。
武帝の五男[注釈 1]として生まれる。生母は徐才人[1]。
泰始6年(270年)に城陽王であった四兄の司馬景(中国語版)が死去すると、その後嗣として城陽王に封じられた。しかし、翌泰始7年8月19日(271年10月10日)に死去[2]。諡を殤とされた。すぐ下の弟である東海王司馬祗(中国語版)がその後継とされた[1]。
- ^ 『晋書』楚王瑋伝では司馬瑋を武帝の五男としているが、『晋書』城陽哀王兆伝では司馬憲を五男としており、『北堂書鈔』では楚王瑋伝の記述が誤りとしている。