この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
スズマッハ | ||||||
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欧字表記 | Suzu Mach[1] | |||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||
性別 | 牡[1] | |||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1981年3月10日[1] | |||||
死没 | 2010年3月24日(29歳没)[2] | |||||
父 | ラッキーソブリン[1] | |||||
母 | スズサフラン[1] | |||||
母の父 | ネヴァービート[1] | |||||
生国 | 日本(北海道浦河町)[1] | |||||
生産者 | 荻伏牧場[1] | |||||
馬主 | 小紫芳夫[1] | |||||
調教師 | 仲住芳雄(美浦)[1] | |||||
厩務員 | 阿曽功[3] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 21戦3勝[1] | |||||
獲得賞金 | 1億4731万2000円[1] | |||||
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スズマッハ(Suzu Mach、1981年3月10日 - 2010年3月24日)[1]は、日本の競走馬、種牡馬。1985年のエプソムカップを勝ったほか、1984年の東京優駿、1985年の安田記念では2着となった。主戦騎手は大崎昭一。
同い年の従兄弟に1987年の宝塚記念を制したスズパレードがいる。
経歴
競走馬時代
1981年3月10日に北海道浦河町の荻伏牧場で生まれる。美浦・仲住芳雄厩舎に入厩し、1983年12月にデビューし、2戦目の折返しの新馬戦で初勝利を挙げる。
1984年は年明けの若竹賞を快勝し、皐月賞の前哨戦であるスプリングステークスでビゼンニシキの3着に入り、クラシック出走権を手にした。皐月賞では4番人気に推されたが7着に敗れ[4]、続くNHK杯でもビゼンニシキに次ぐ2番人気に支持されながら6着に敗れた。迎えた東京優駿では21頭立ての20番人気にまで人気を落としていたが、19番枠からハナを切って直線もしぶとく粘り、シンボリルドルフにはラスト1ハロンで差し切られたがフジノフウウン、スズパレードとの激しい争いを制して2着を確保した[5][6]。
秋はセントライト記念でシンボリルドルフの3着、京都新聞杯でニシノライデンの3着、菊花賞で無敗の三冠を達成したシンボリルドルフの4着と堅実な走りを続けた。年末の有馬記念では同期の三冠馬シンボリルドルフに加え、1歳上のジャパンカップ勝ち馬カツラギエース、三冠馬ミスターシービーが順当に上位3着までを占める中、3強に次ぐ4着に健闘した[7]。
1985年は休養明けの安田記念で9番人気ながらニホンピロウイナーから3/4馬身差の2着に入る[8]。続くエプソムカップで単勝1.9倍の人気に応えて1着となり、待望の重賞制覇を果たした[9]。しかし、その後は一転して不振に陥り、G2で4着が2度あるのみでその他は大敗が続いた。1986年の天皇賞(秋)13着を最後に現役を引退した[10]。
引退後
現役引退後はイーストスタッドで種牡馬入りしたが、残した産駒数は生涯で69頭と少なく、目立った成績を残した産駒は出ていない。2000年以降は種付けを行わず、隣の放牧地をあてがわれていた従兄弟のスズパレードと共に事実上の功労馬として扱われ、イーストスタッドで余生を過ごした。スズパレードとは対照的なタイプだったようで、同スタッドの青木大典場長は2007年のインタビューで「スズマッハは本当に心身ともにタフですね。スズパレードはどちらかといえば繊細なタイプかもしれません」と評している[11]。2008年にスズパレードが死亡してから2年後の2010年3月24日、29歳で死亡した[2]。
年度別競走成績
- 1983年(2戦1勝)
- 1984年(9戦1勝) - 2着:東京優駿(GI) 3着:スプリングステークス(GII)、京都新聞杯(GII)
- 1985年(5戦1勝) - 1着:エプソムカップ(GIII) 2着:安田記念(GI)
- 1986年(5戦0勝)
血統表
スズマッハの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ニジンスキー系 |
[§ 2] | ||
父 *ラッキーソブリン 1974 鹿毛 |
父の父 Nijinsky1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Flaming Page | Bull Page | |||
Flaring Top | ||||
父の母 Sovereign1965 鹿毛 |
Pardao | Pardal | ||
Three Weeks | ||||
Urshalim | Nasrullah | |||
Horama | ||||
母 スズサフラン 1973 鹿毛 |
*ネヴァービート 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah | |
Singing Grass | ||||
Bride Elect | Big Game | |||
Netherton Maid | ||||
母の母 スズキール1967 鹿毛 |
*ヴイミー | Wild Risk | ||
Mimi | ||||
マツトミ | *ヒンドスタン | |||
エベレスト | ||||
母系(F-No.) | 7号族(FN:7-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nearco5×5×5×5=12.50%、Nasrullah4×4=12.50%、Big Game5×4=9.38% | [§ 4] | ||
出典 |
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脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “スズマッハ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年7月6日閲覧。
- ^ a b 公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル「血統書サービス」より
- ^ 『優駿』2014年1月号、139頁。
- ^ “1984年3回中山8日( 4月 15日) 10R”. JRA. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “競馬 - 第51回東京優駿[日本ダービー](GI)”. スポーツナビ. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “【ダービーレジェンド】1984年 第51回シンボリルドルフ”. サンケイスポーツ (2014年5月30日). 2019年8月17日閲覧。
- ^ “1984年5回中山8日( 12月 23日) 10R”. JRA. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “1985年2回東京8日( 5月 12日) 11R”. JRA. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “1985年6月9日 3回東京8日目”. 競馬ブック. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “スズマッハ(1981) 競走成績”. 競馬ブック. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “あの馬は今Vol.29~宝塚記念・スズパレード”. 競走馬のふるさと案内所 (2007年7月7日). 2019年8月17日閲覧。
- ^ “スズマッハの血統表”. netkeiba.com. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “血統情報:5代血統表|スズマツハ”. JBIS-Search. 2019年8月17日閲覧。