イワン・フェジュニンスキー Иван Федюнинский | |
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生誕 |
1900年7月30日![]() ![]() |
死没 |
1977年10月17日 (77歳没)![]() ![]() |
所属組織 | ソ連地上軍 |
軍歴 | 1919年 - 1965年 |
最終階級 | 上級大将 |
イワン・イワノヴィッチ・フェジュニンスキー(ロシア語: Иван Иванович Федюнинский, ラテン文字表記の例: Ivan Ivanovich Fedyuninsky, 1900年7月17日 - 1977年10月17日)は、ソ連の軍人。上級大将。ソ連邦英雄。
経歴
ギレヴォ村(現スヴェルドロフスク州トゥグルィムスキー地区)出身。
1919年から赤軍。ロシア内戦時、兵卒として西部戦線で戦う。1924年、ウラジオストク歩兵学校を卒業し、小隊長となる。1929年の東清鉄道紛争時、中隊を指揮。1930年から共産党員。1931年、「射撃」課程を修了し、大隊長となる。1936年、連隊長補佐。1939年、自動車化狙撃連隊長となり、ノモンハン事件で功績を挙げ、ソ連邦英雄の称号を授与された。1940年2月、師団長、同年11月、狙撃軍団長。1941年、参謀本部軍事アカデミー附属高等指揮要員完全化課程を修了。
独ソ戦時、狙撃軍団、第32軍(1941年8月~9月)、第42軍(1941年9月~10月)、レニングラード戦線(1941年10月)、第54軍(1941年10月~1942年4月)、第5軍(1942年4月~10月)を指揮。1942年10月からヴォルホフ戦線副司令官、1943年5月からブリャンスク戦線副司令官。1943年7月から第11軍司令官、1943年12月から終戦まで第2打撃軍司令官。フェジュニンスキー指揮下の部隊は、レニングラードの防衛・封鎖解除、チフヴィン、ルジェフ・シチョフ作戦、クルスクの戦い、ブリャンスク、ゴメリ・レチツク、クラスノセリスコ・ロプシン、ナルヴァ、タリン、東プロシア、東ポメラニア、ベルリン作戦に参加した。戦時中、最高司令官令で25回指摘された。
戦後、1946年~1947年までアルハンゲリスク軍管区司令官。1948年、参謀本部軍事アカデミー附属高等学術課程を修了し、各職を歴任する。1951年、駐独ソビエト軍集団副司令官、第一副司令官。1954年、ザカフカーズ軍管区司令官。1957年、トルケスタン軍管区司令官。1965年12月、ソ連国防省監察総監部軍事監察顧問。第5期、第6期ソ連最高会議代議員。
表彰・受勲
ソ連邦英雄(1939年)
レーニン勲章 4度
赤旗勲章 5度
スヴォーロフ勲章一等 2度
クトゥーゾフ勲章一等 2度
赤星勲章
ソ連軍勤務時祖国奉仕勲章三等
レニングラード防衛記章
ソ連邦国境警備栄誉記章
キエフ防衛記章
大祖国戦争対独勝利記章
ケーニヒスベルク攻略記章
ベルリン攻略記章
処女地開発記章
大祖国戦争勝利20年記念記章
大祖国戦争勝利30年記念記章
ソ連軍退役軍人記章
労働者・農民赤軍20年記念記章
ソビエト陸海軍30年記念記章
ソ連軍40年記念記章
ソ連軍50年記念記章
レニングラード250周年記念記章
諸外国
モンゴル
ポーランド
ポーランド復興勲章三等
ヴィルッチ・ミリタリ勲章
グルンヴァルト十字勲章二等
- Cross Olshansky Province
東ドイツ
トゥヴァ人民共和国
- 赤旗勲章
チェコスロバキア